新種のすもも

すもも生産者「渡辺誠一」。一人のいちずな情熱からすべての物語がはじまりました。

父が営んでいたすもも栽培を受け継いで、私がこの世界に飛び込んだのはちょうど20 歳のころ。もう20 年以上前になります。当時、うちの畑にはすでに約50 本のすももの木がありました。すももを本気でつくると決めたからには、仕事として勝負したい。もっと育てる品種を増やして、出荷量を上げたい。当初からそんな思いを抱いていました。自然相手の厳しい仕事、つくったものが売れなければ生き残っていけません。そこで、はじめた年の春に「太陽」という品種を新たに50 本植えることにしたのです。

様々な品種の中から「太陽」を選んだのは、何といっても果皮の赤さが決め手。熟せば赤くなる品種はありましたが、最初から赤いままというすももは当時としては珍しく、直感的に「これは売れる」と思いました。ところが、いざ栽培してみると苦労の連続。虫がつきやすかったり、実が成りにくかったり。ひとすじ縄ではいかない日々が待っていました。このころの私は経験が浅く、栽培技術も一人前と言えるレベルではありません。一人で努力することに限界を感じました。

すもも「太陽」

すもものことは、熟練のすもも生産者に教わるのが一番。そう思い立ち、基礎から学ぶ覚悟で、すもも栽培の先進地である山梨へ研修を受けに行くことを決めました。何度も出かけ、長い時間をかけて多くの知識と技術を得ることができました。けれど、肝心な部分で山梨のやり方をどうしても真似られないこともありました。それは、すももの木の仕立て方(植え方)です。山形と山梨では気候条件に決定的な違いがありました。山形では、毎年のように雪が積もります。山梨の仕立て方をそのまま用いても、山形ではすももの木が雪に埋もれてしまうわけです。これをきっかけに、自分の力で新しい仕立て方を開発することを決意。とにかく試行錯誤を重ねました。この時に考えたのが、すももの苗木に竹を添えて、雪に埋まらない高さまでまっすぐ幹を育てる「主幹形(しゅかんけい)」という仕立て方です。いまでは大江町・朝日町のすもも栽培において主流となっている、この仕立て方によって安定した収量を確保できるようになり、「太陽」の出荷量を拡大することに成功しました。 多くの人たちに丹精込めて育てたすももを食べてもらうことは、生産者として何よりの喜び。この経験によって、もっとたくさんの人に、もっと日本中の人に、すももを食べてもらいたいと思うようになりました。

第一世代「太陽」から第二世代となる「三ルージュ」の育種に挑戦。

すももの場合、ひとつの品種の旬は約10日間。しかも一般的なすももの収穫時期は6月末から8月末。つまり一年の中で出荷できる時期は、たった2ヶ月程度しかありません。比較的に出荷時期の遅い「太陽」でも9月の初旬には収穫を終えてしまいます。多くの人たちにすももを食べてもらうには、そもそもすももが食べられる時期を伸ばさなといけないのではないか。当時、そう強く感じていました。それには「太陽」よりも収穫時期の遅い品種がどうしても必要でした。けれど、すももの苗木市場の情報にアンテナを張っていても、新品種が出たという話はなかなか出てきません。だったら自分でつくるしかない。そう思い、2000年ごろから「太陽」を親にして新品種づくりをはじめたのです。

最初のうちは、種をまいてはみるものの芽が出てこないことも珍しくありませんでした。芽が出ても、苗木になる前に枯れてしまうことも。何か原因があるはず。絶対に成し遂げたい。そんな気持ちで、手探りながらも挑戦を続けました。そして、次の年の春、やっと6本の苗木を育てることができたのです。苗木を畑に植え、世話をしながら初成り(初めて実をつけること)を待ち望みました。

すももを育てる渡辺さん

それから3年経ったころだったと思います。8月が過ぎ、9月になっても実が成る気配はありません。「今年もダメだな」。ほぼあきらめかけていた、ある日のことでした。畑を訪れ、いつものようにすももの木を見に行ってみました。すると、何とそこには真っ赤なすももが、丸々と実っているではありませんか。衝撃を受けました。奇跡的なものを感じました。というのも、それがすももの常識的な旬の時期をとうに過ぎた、9月の終わりだったからです。「こんな遅い時期でも、すももは実をつけるのか」。当時の驚きをいまでもはっきりと覚えています。いざ食べてみると、その驚きはすぐに感動に変わりました。かぶりついた瞬間、それまでに味わったことのない強烈な甘さが口いっぱいに広がったのです。糖度を調べてみると、高い実で20度近くありました。平均的なメロンで約15度。「これは絶対にブランドになる」。そう確信しました。これが2000年に植えた6本の苗木の中の1本だったのです。そして、親の「太陽」という名前を英訳した「SUN」と、皮も果肉も赤いことから、この新しい品種を「サンルージュ」と名付けました。

100本のすももの木から、数本だけが第3世代の新品種、日本一甘酸っぱいすももへ。

2006年から出荷をはじめた「サンルージュ」は、市場で高い評価を得ました。売り上げも徐々に伸び、人気商品の仲間入りを果たすことに。これをきっかけに、大江町・朝日町では、すもも生産者が増えていきました。私がすもも栽培をはじめた当時は20人程でしたが、いつしかその3倍以上となる70人を数えるまでに。たくさんの仲間と力を合わせれば、想像を超える美味しさのすももをつれるかもしれない。この町を、日本を代表するすももの名産地にできるかもしれない。そんな気持ちが芽生えたのも、ちょうどこのころでした。

現在、それは確かな目標となり、さらなる新品種開発の原動力となっています。新品種の親として選んだのは、やはり「サンルージュ」。100本以上植えた木から、昨年4本まで絞り込み、大切に育てている真っ最中です。これが成功すれば、10月でもフレッシュなすももが食べられるようになります。もちろん、味にも驚いてもらえるはずです。「すももは酸っぱい」。そんな先入観をなくしてしまうくらいの美味しいすももをきっと届けられるはずです。皮ごと丸かじりで頬張って、大人も子どもたちもみんな笑顔ですももを食べる。とびきりの甘さに夢中になる。そんなシーンを想像すると、楽しみでなりません。2016年の初出荷をめざして、これからもみんなで力を合わせて、日々努力していきます。大江町・朝日町が「日本一のすももの里」になるその日まで、私たちの挑戦は終わりません。